北斗会(熊本大学ヨット部OB会)総会

yamakenjog2010-05-05




 5月2日は北斗会総会が熊本大学ヨット部の合宿所があるトバセ島の松前会館であった。現在の練習場所は宇土マリーナで行われているが、昔は合宿所前の三角港内でヨットの練習をしていた。したがってその思い出のあるOB達は、合宿所に立ち寄って松前会館に来た。松前会館のある若宮海水浴場一帯はよく整備されている。浜には砂が入れられその縁を階段状になっていて、その外はキャンプ場になっている。多くの人がテントを張り、バーベキューを楽しんでいた。またその外には「花の学校」という温室設備があり、その中ではいろいろな花が咲いていて、見学できようになっている。ちょっとしたリゾートとなっている。あまり知られていないが、いいところである。私たちは学生時代、ここで夏の合宿練習をした。その当時はひなびた海の家があっただけで、蛎殻でよく脚を切ったものである。
 ゴールデンウィークであるため、渋滞が予想されたので、私と田川君とは9時に出発し、ルートも松橋経由の宇土半島の南岸を行くコースをとった。このため、渋滞にも遭遇せず、10時30分には松前会館に着いた。この総会の準備委員には12時集合の連絡があっていた。十分に時間的余裕があったので、合宿所にいってみることにした。学生の頃はまだこの島と宇土半島を結ぶ橋はなく、小さな連絡船が三角駅前と行き来していた。このため、島内にはあまり車もなく狭い道幅の道路だけであった。その後宇土半島とこの島の間に橋が架かり、新しい道路がいくつも作られ私たちは道に迷ってしまい、やっと合宿所にたどり着いた。合宿所に現役のヨット部員が来る予定になっていたが、まだ誰も来ていなく艇庫も合宿所もしまっていた。そこで外から眺めて、学生時代に陸上トレーニングとして走った小学校へ行く小さな道をたどってその反対側にある松前会館に戻った。国道57号線をとった準備委員は渋滞に巻き込まれ遅くなるという連絡があったことを聞いた。早くついた私たちはレストランで昼食をとりながら準備委員を待つことにした。昼食をとっていると、総会準備委員のOBがだんだん到着してきた。昼食が終わって打ち合わせを行った。私は三角駅までの送迎バスに添乗することになった。
 送迎バスで三角駅に行き、列車を待った。列車が到着すると、懐かしい顔がおりてきた。握手をして歓迎すると大変喜んでくれた。バスで松前会館に着くと、車で来た人たちもいて人数が増えていた。
 総会が定時に始まり、四元会長の挨拶があり、決算報告、規約改定、役員改選などの議事が行われた。総会の2部として新副会長となった神の手を持つといわれる熊本大学医学部外科教授の馬場君の主にヨットに関する講演が行われた。彼は唐津出身で幻のオリンピック選手である。幻というのはモスクワオリンピックでこの大会は日本はボイコットをしたためである。彼は休学までしてこの大会に備えたのに出場できなかったのである。この大会には高木裕君とともに「幻の」という言葉がつくことになってしまった。馬場君は高校時代も11月まではものすごく激しい練習を行っていて、大学受験勉強も3ヶ月しかできなかったそうである。それでも医学部に入学できている。現在も1日に睡眠時間が3時間しかとれないそうである。ものすごい集中力があるのだろう。講演を聴いたOBは感銘を受けていた。
 総会が終わると、玄関前で記念写真の撮影が行われた。そして6時から懇親会が開かれ、代ごとのヨット部時代の思い出、近況報告などが話された。懇親会が終わると、部屋で2次会が行われた。
 次の朝、年配のOBは目覚めるのが早く、海岸を散歩していた。朝食をとると、解散となった。私は有明クルージングを希望する人たちと成会津のヨットハーバーへ行った。天気はよいが風がない。人手があるので、ハーネスをつけて、ジブハリヤードとスピンハリヤードをウィンチで巻き上げてもらいフラッグラインを取り付けて、小さな鯉のぼりをあげた。そして、出航した。風はなかったがセールもあげてみたが、残念ながら船は進まなかった。そこらをうろうろして帰港した。寄港後チャンポン屋で昼食をとり、3年後のヨット部創立50周年OB記念総会での再会を約束して解散した。