夏休みが終わった

 今日娘を勤務先に送っていくと、小学生や中学生の登校集団に遭遇した。夏休みの宿題をもって登校していた。それで夏休みが終わったのだ。新学期が始まったのだと改めて思った。
 そこで私は夏休みに何をしたのだろうと振り返ってみた。今年は、近場のクルージングをしようと思っていた。5月に長崎の帆船祭りに行こうと計画していたが、天候がわるい上に直前にオートパイロットが故障したために中止になってしまった。そこで口之津・早崎の瀬戸を通って行けるところまで言ってみようと思って小浜温泉まで行ってみた。風がなくてすべてを機走で行った。結構橘湾は深いのだなあと感じた。以前に長崎の帰りに小浜温泉に立ち寄ったことがあったが、それほど深い湾だとは思わなかったが、岬をかわしてから結構時間がかかった。そこで一泊して帰った。帰りは完全な逆潮で対地速度は5キロ以下でなかなか進まなかった。
 もう一つのクルージングは田浦まで行ったことである。友人で江津小学校の校長をしていた兼田君が江津小学校の生徒と保護者のキャンプで彼が持っているモーターボートに乗せるために田浦に行くと言うので、私もモーターボートに同乗していくことにしていたのだが、用事が生じてモーターボートの出廷時間に間に合わなくなったので、自艇のヨットで行くことにしたのである。この日も風がなく、機走になった。ヨットが係留してあるのは、松ヶ崎である。そこには昨年成会津から運んできたダックスウェブが係留してある。それに横抱き係留をさせてもらった。この地は、私が新任地の豊野中学校から初めての転任した小田浦小学校があったところである。その当時は小学校にプールがなく、この海岸で水泳の授業をした。この海岸も港が造られ、海岸も砂を入れたり、階段を作ったり、体育館と間違うような立派なトイレが作られていた。小田浦小学校も昨年廃校になってしまった。ヨットを係留すると、兼田君がモーターボートで迎えに来てくれたので、対岸のお立ち岬のキャンプ場に行き、温泉に入って、海鮮バーベキューをごちそうになった。取れたての太刀魚は油が載っていて大変美味であった。翌朝ヨットに乗せようとお立ち岬側に行ったが、皆さんは帰り支度をしていて、全員帰られる事だったので、遅くなるとまた逆潮になってしまうので帰ることにした。不知火海ではつれ潮だったが、三角港に入っていく時分には逆潮になってしまった。釣り鐘島付近では相当の潮の流れで渦を巻いていた。不知火海では風はなく、機走だったが、有明海にはいるとよい風が吹いていた。ちょっと欲求不満だったので、そこで、セールをあげて帆走を楽しんだ。
 Laputaは春に船底塗りはすませていたが、JUNE BRIDEは延び延びになっていた。そこで夏休みの終わりの木曜にその作業を行った。今年は田川君の息子も手伝ってくれて楽にできた。そのとき、オーランドマリーナに帰港してきた遊漁船がたくさんの立派な方のチヌや鰺がつれているのを見て、夏休み最後の日曜日には魚釣りをしたが、期待の魚は釣れなかった。
 宿題としては、兵庫教育大学の図書館が電子図書館式の教材文化資料館を創設するので、これまでの研究成果を寄贈の依頼があったので、先日に紹介した書き留めておいた論文や教材資料を整理して送ったことが夏休みの自由研究かなと思っている。