青春18切符の旅

桜満開

3月29日
 時間が自由になったら、「ふうてんの寅」のような旅をしてみたいと思っていた。つまり、夜行の鈍行(普通列車)に揺られながらビールをちびちびと飲んでいる図のイメージである。そこで、春の青春18切符を買ってあった。妻の都合で4月4日出発の予定であったが、3月29日の朝に突然出かけたくなって、出発することになった。
 自宅より最寄りの駅まで歩いていった。桜が満開の中を歩いて行く。車では通らない近道を歩いていった。それは寅のあるシーンとそっくりである。最初に来た鹿児島本線上りに乗った。
 
 このたびの目的は、帆走和船と南蛮船の機能と構造の違いを自分の目で確かめることである。私は今年某通信高校の世界史の非常勤講師をすることになった。そこで年間約16時間のスクーリング授業をしなければならない。18時間では通史的にすべてを取り上げることはできない。私はヨット乗りである。帆船にも興味がある。そこで、「大航海時代」と「産業革命と欧米諸国のアジア進出」を取り上げることにした。大航海時代の船はもちろん帆船である。産業革命後の欧米船は蒸気船であるが、蒸気エンジンは補助的で、正しくは機帆船である。現在の帆船は「長崎帆船祭り」でいくつか見ている。日本丸熊本県三角港に来たときに見に行った。

 いろいろ調べていて、ヨーロッパや中国の帆船は外洋を航海し、貿易をしている。しかし、帆走和船は外洋を走っていない。確かに朱印船貿易を行い、東アジアや東南アジアに日本人が進出していた。しかし朱印船貿易で使われた帆船はほとんどが中国で建造されたもので、航海士はヨーロッパや中国の航海士を雇っていた。もちろんそれらから外洋を航海するための天文航法を習得していた日本人はいた。しかし、それは日本では普及しなかった。それはなぜか、という疑問を抱いた。その原因の一つに構造的違いがあるのではないかと思うようになった。そしてそれを調べていく中で、菱垣回船を復元した浪速丸を知った。復元船はいくつかあるが、実際に帆走して検証しているものはほとんどない。浪速丸は実際に帆走してその性能を検証している。

 また、NHKテレビ「鶴米の家族に乾杯」でサンファンバウティスタを知った。調べてみると、江戸時代初期に仙台藩が遣欧使節を送るために日本で建造した南蛮船の復元船である。しかもこの元の船は咸臨丸よりももっと早い時代に太平洋を渡りメキシコに行って帰ってきているのである。

http://www.santjuan.or.jp/index.html
そこで、この二つを実際に自分の目で見て、構造的な違いを確かめてみたいと思って、青春18切符の旅に出かけたのである。この二つをメインにして、海事資料館・博物館巡りをしようと思ったのである。青春18切符は1日乗り放題が5日できるのである。そこで、まず最初に立てた計画は、熊本を朝でかけて広島又は呉に行く、そこで1泊して、大和ニュージアムを見る。それから大阪へ行く。「海の時空館」で「浪速丸」を見て大阪でまた宿に泊まり、次にまだ見ていない天橋立に行き境港に行き。海事資料館とゲゲゲのきたろう関連を見て、ふうてんの寅の舞台であった温泉津に行き、その近くにある石見金山を見て、熊本に帰る。宿を現地の観光案内所に尋ね安い宿を探す。このような計画を立てたのである。
 そこでまず広島を目指した。広島に着いて、駅の観光案内所で大和ミュージアムに着いて尋ねると、これから呉に行っても閉館していると言うこと、しかも明日は休刊日であると、告げられた。そこで大阪に向かって行くことにした。岡山に着いた。もうかなり遅くなっているので、岡山でビジネスホテルを探した。しかし、どこも満室である。どこか安い宿はないかと尋ねると、「たぶん今日はどこも満室だろう。今日は岡山で学会があっていて、倉敷あたり捜された方がよいですよ。」という返事である。倉敷では引き返すことになる。山陽本線上りで捜すと、普通列車では、近郊の名前を知らない地名のところまでしか行かない。この時間でそこで宿を探すのは無理だと思った。しかし新幹線ならば、大阪まで行ける。大阪ならば何とかこの時間でも宿を見つけることができるのではないか。そう考えて新幹線で大阪に向かった。
 新幹線で新大阪に着いて、駅の案内書でカプセルホテルは駅の近くにありませんか。と尋ねると、駅にあると答えてくれた。そこでそのカプセルホテルに泊まることにした。たいていのカプセルホテルには軽食がとれ、サウナがあるらしく、広島で買った弁当とカプセルホテルで買った缶ビールで夜食を済ませ、眠りについた。風呂と飯がとれれば、寝るのには一畳のスペースがあれば十分である。
3月30日
 新大阪駅で朝食をとると、大阪は私鉄発達しているので、今日は青春18切符は使わずに私鉄で菱垣回船「浪速丸」のある「海の時空館」へ向かった。
http://www.jikukan-ogbc.jp/
駅を出るとすぐ海であった。大阪港である。向こう岸にはコンテナ船が見えた。

海岸沿いの遊歩道を進むと、丸いドームが見えてきた。

まだ開館していなかった。つまり私が今日最初の来館者である。受付でいろいろ質問をすると学芸員のような方が来られて専門的なことまで丁寧に質問に答えてもらうことができた。展示室の方に進むとまず最初に浪速丸の船底部が見えてきた。





浪速丸はやはり構造的には水密構造ではなかった。甲板は板を並べただけであり、舷側には隙間がもうけてあった。驚いたことに船尾部は船頭(船長)の部屋だが、外が見えるように開いていた。 
 海の時空間を出ると、水上バスアクアライナー大阪城中之島巡り」に行った。


 昨日と同じ新大阪駅のカプセルホテルに泊まった。このカプセルホテルは明日で営業を停止する。つまり私は最後の宿泊客である。

3月31日
 新大阪から東京へ向かってひたすら東海道本線普通列車を乗り継いでいく旅である。私と同じような還暦過ぎのような人がいる。女性の方が多い。尋ねると青春18切符の旅だと答えられた。
 蒲郡駅でヨットのマストのようなものが斜めにたっている。しかしとてつもなく長い。何だろう、ヨットのマストだとすると斜めに立っていることが不可解である。やはりヨットのマストであった。そうアメリカズカップに挑戦したニッポンチャレンジである。それが駅前に展示してあるのである。しかもヒール(傾斜)させて展示されているのである。私が「ニッポンチャレンジだあ。」一人つぶやくと、座席に後ろの人が「そうです。ニッポンチャレンジです。向こうに見える蒲郡マリーナに猛威って移転辞してあります。」と答えられた。そしてしばらくはなすとその人もヨット乗りであることがわかり、ヨットの話で盛り上がった。残念ながら、写真には撮ることができなかった。夕方になって東京に着いた。明日は東北へ向かうのだから、上野に行き昨晩と同じようにカプセルホテルに泊まった。東京も桜が咲き始めていた。

4月1日
 さあ今日は東北線で仙台へ行き、仙石線に乗り換えて石巻に行くのである。福島県にはいると桜はまだ咲いていない。しかも山は雪に覆われている。日本は広い。

仙台について仙石線に乗り換えた。仙石線に乗っていると、ブルーインパレスが展示されているのが見えた。そうここがブルーインパレスの基地があるところなのだ。
 石巻に着いて観光案内所に行きサンファン館にはどのようにしていくのかと、駅近くに安い宿はないかと尋ねた。サンファン館は閉館時間が迫っていると教えられた。また、駅近くの安い宿も紹介してくれた。そして出発しそうになっているバスを止めて乗せてくれた。さらにそのバスはサンファン館までは行かないので、バスの運転手さんにサンファン館近くのタクシー会社のあるバス停で下ろしてくれるように頼んでくれた。バスの運転手さんも親切にタクシー会社のあるバス停で下ろしタクシー会社のあるところを説明してくれた。タクシーでサンファン館へ着いた。
 サンファン館の受付に荷物を預けて、サンファン号を見に行こうとエスカレータで下ると、懐かしいクリンカー張りのAクラスディンギーが展示されていた。私が最初に乗ったヨットである。さあサンファン号が見えてきた。








 サンファン号は水密構造になっていた。取り付けられていた帆は横帆だけで縦帆は見あたらなかった。縦帆はないのか尋ねたが、ないという返事だったがどうも当てにならないような気がする。縦帆があってもそれほどの数ではないようなので上り速度それほどではないだろう。現在の帆船日本丸もやはりアビーム(横風)くらいと言うことだったので、サンファン号も同程度であろう。ただ、サンファン号は甲板が幾重もあり、水密構造になっているので、浪速丸に比べて外洋でも安全に航海できるであろう。
 タクシーでサンファン館から最寄りの駅へ行き、石巻に買った。観光案内所で教えられた駅近くの旅館に行って泊まった。ふうてんの寅が泊まるような旅館であった。朝食付き4200円であった。夕食は地魚を食べさせてくれると旅館かで教えられた居酒屋へ行って食べた。隣の席の人は船員で船で長崎から荷物を運んできた人であった。旅館に帰って眠りについた。

4月2日
 松島で遊覧船に乗り、仙台を観光するつもりだったが雨である。そこで松島はパスして、仙台に行った。仙台で携帯電話で乗り換え案内を見てみると、「ムーンライトながら」に乗れると、明日には熊本へ帰れることがわかった。そこで仙台駅で申し込んでみたが、この列車は全席指定席なのだが、全席満席であった。この列車は東京から大垣まで行ける今では日本唯一の普通夜行列車で青春18切符の旅行では人気の列車なのである。残念。そこで東京で一泊して、広島に行き、そこでまた一泊して呉の大和ミュージアムを見て広島へ帰り広島から新幹線で博多まで行き、博多から特急で帰ることにした。往きに会えなかった東京の親戚に土産を渡そうと思って電話をかけると、外で飯を食って家にとまりなさい、という返事であった。そこでそうすることにした。

4月3日
 朝起きると朝食もとらずにすぐに出発した。私鉄も含めて多くの電車を乗り継いで広島に着いた。駅でカプセルホテルを調べてタクシーでカプセルホテルに行った。このカプセルホテルには居酒屋があり、そこで夕食をとった。

4月4日
 カプセルホテルで朝食をとると、広島駅に路面電車で行った。そして駅近くのチケット屋に行き博多行きの新幹線チケットを購入した。そのときに携帯電話の入ったポーチがないことに気づいた。確かにそのポーチはカプセルホテルでベルトに通したはずだ。しかしベルトがはずれていてポーチがない。電車の中かトイレに行ったときに落としたのだろう。そう思い、電車の事務所に尋ね、トイレを捜したがない。そこで駅の交番に届けた。そして駅のドコモショップに行って、携帯のロックをかけてもらおうとした。しかし、まだ開店していない。開店するまで待った。開店したので、早速ロックをかけてもらった。それから呉に行き、大和ミュージアムを見た。自衛隊資料館も見た。しかし、携帯がないので写真が撮れない。携帯のカメラ機能が高まっているので、私は別にカメラを使っていない。残念。そして広島に帰りもう一度、路面電車事務所と駅の交番に尋ねたが、まだない、という返事である。仕方がないので熊本に帰ることにした。
 博多行きのレイルスターに乗り、博多でリレーつばめに乗り換えて熊本に帰った。

4月5日
 もしかしたら、カプセルホテルで落としたのかもしれないと思い、電話すると、あるとの返事である。ああよかった。送ってもらうようにお願いすると着払いで送るとの返事である。

 そうこれらの写真は携帯電話が帰ってきたので掲載できているのである。