叔父が亡くなった

yamakenjog2009-01-26

 先週母の弟である叔父(伯父かなあ)が亡くなった。その知らせを受けて通夜や葬儀で川尻の実家に帰っていた。私の父母は亡くなってすでに10年以上になる。この世代はこのごろは「アラカン(アラウンド還暦)と呼ばれる我々団塊の世代の親に当たる。この世代は青春の時を戦争中に迎え、やっと生き延び戦後に結婚し親となり、物資が不足している中、家庭を支え日本を復興させ現在の繁栄をもたらした英雄的世代である。
 先日テレビ番組「太田総理」で後期高齢者はすべてただにする法案が可決された。その通りだと思う。これ以後の世代はどんなに感謝しても感謝しすぎると言うことはない。ましてや「後期高齢者医療制度」というものはとんでもないものである。これらの世代は医療や年金制度、介護制度がない中で、その親を扶養し介護・看病し看取ってきたのである。これでは大変だ。家族だけで支えるのは不可能だ。社会全体で支えられるようにしようと社会制度を創設してきたのである。自分たちの扶養・介護・看病を家族だけに頼らなくても良いようにしようと、社会保障制度を創設したのである。自己責任などの言葉でこれをなくそうとするのはとんでもないことである。何のためにこの世代はがんばってきたのだろうか。安心して老後を迎えることのできる社会を建設しようとがんばったのである。そのことを忘れてはならないのである。
 金融資本主義が破綻した。当然だろう。財(もの)やサービスを生産し他の人に提供して初めて報酬が得られるのである。つまり社会に役立って報酬が得られるのである。確かに財やサービスを生産するには資本・資金が必要である。その報酬として利潤の配当を得るのは正当である。しかし、投機は価格を不安定にし社会を混乱させる。いろいろな金融的手法を用いて時代の寵児ともてはやされたlivedoorの「ホリエモン」やそのホリエモンを資金を提供したリーマンも破綻した。私が知らないだけかもしれないが、livedoorがIT界でどのような社会に役立つ事業をしてきたのか知らない。生活するだけならばそれほど巨額な資金はいらない。社会の役に立つ事業を行うためには資金が必要である。これをしたい、このために資金が必要だとがんばるべきである。ただ金持ちになりたいではいつかは破綻するだろう。