スポーツ考

 北京オリンピックも終わった。甲子園も終わった。スポーツに関するいろいろなことがいわれている。例えば金メダル報奨金が日本は安いとか、強化費用が少ないとかである。
 しかし、「ちょっと待てスポーツとはいったい何だ。」という疑問が湧いてくる。確かに私もスポーツは好きだ。これまで剣道とヨットをしてきた。このごろは市民センターでテニスを始めた。おもしろいからである。確かに、剣道もヨットも道具は安くない。テニスのラケットも剣道やヨットに比べれば安いがそれでも結構金はかかる。しかし、おもしろいからするのである。つまりアマチュアスポーツなのである。アマチュアスポーツは遊びなのである。遊びだから一生懸命にやらないわけではない。レースや試合をすれば勝ちたい。勝てればうれしい。うれしい気持ちになりたいから練習をする。しかし、これは個人の快感を得たいがためにするのである。別に何も生産しているわけではない。
 このような人が国民の大部分だろう。このような国民のための環境を整えることは必要だろう。競技場や体育館などの設備が必要だろう。その環境を整えるために各都道府県で国体が実施されてきたのだろう。しかし不必要な過度の設備も作られてきた。熊本国体のときに熊本県にもセーリング競技のために宇土マリーナが作られた。セーリング競技のためにはスロープと駐車場さえあれば良いのである。何もあのような立派な建物は必要ではないのである。あれは皇太子が来られるので造られたと聞いている。そんな金があるなら、海や河川や湖の護岸工事をするときに簡単なスロープと駐車場を作って欲しかった。
 慶応高校が甲子園に出場して活躍した。慶応高校は一般的には「おぼっちゃま学校」と言われている。他の高校の野球部員から「遊びで野球をやるんじゃねー。」と言われたそうである。甲子園に出場するぐらいであるから、一生懸命に練習していたのだろうが、「野球は遊びだ。」と言い返したそうである。(朝日新聞)私はこの意見に賛成である。少なくともアマチュアスポーツは遊びだと考えている。そして遊びは必要であると。そのための環境整備は必要だと。そしてそれは自分のためにするものだと。何も国威発揚のためではない。国のために金メダルを取ってもらわなくても良い。「超気持ちいい。」思いをしてもらうために公的な資金を投入する必要はない。
 それでは、プロスポーツはどうだろうか。プロスポーツはそれを見たいという人がいるから成り立つのだろう。あるいはレッスンプロの場合はその技術を習得したいという人がいるから成り立つのだろう。プロプレーヤーの収入はその人が負担すればよい。超人的なプレーを見たい人がいるから成り立つのだろう。プロプレーヤーの収入はその人が負担すればよい。超人的なプレーを見たいから支払うのだ。それができないならば支払われないのだ。