現物を見に

1月12日
 熊本発13:45のスカイネットアジアの飛行機で、羽田に向かいました。羽田到着後モノレールで浜松町に向かいました。この区間は運河見受けられました。








 浜松町駅で親戚と落ち合い、山手線に乗って東京駅に向かいました。東京駅からは中央線に乗って立川に向かいました。立川駅でおいしい中華料理をごちそうになりました。親戚のマンションに泊めてもらいました。東京に出てきたのは、ずっと若い頃千葉国体に出場するため、館山にいった帰りに親戚の御世話になって以来です。何十年も昔です。そのとき、お寿司をごちそうになったのですが、東京は寿司が高いということが印象に残っています。

 
1月13日 
 三島着11:00の新幹線で三島に着きました。セーリングクルーザーの売り主の方が駅前に車で迎えに来てくださっていました。早速重須ヨットハーバーへ向かいました。この一帯のヨットはほとんどが沖留めでした。
 ヨットハーバーに着くと、アンタレス3世の落合さん、ハーバーマスターの土屋さんを紹介してもらいました。早速テンダーにのり、ラピュタに向かいました。ステイの点検、デッキなどを見ました。傷はありません。航海灯をつけてみてもらいました。マスト灯、船尾灯はつきました。両色灯は球切れかつきませんでした。キャビン内を点検しました。ビルジには水はたまっていませんでした。エンジンは残念ながら前置きで煤で汚れていました。故障の程度はわかりませんでした。窓のアクリルはひびが入っていました。ただ水漏れはないということでした。エンジンは心配ですが、その他の点ではほぼ満足しました。
 陸に上がると、クラブハウスに入って、改めて挨拶を交わし話し合いました。エンジン修理済みでの現地引き渡しの条件でしたが、現状のまま熊本に陸送し、熊本で修理することになりましたので、その差し引きの譲渡額や名義書換、陸揚げ積み込みなどの手順などについて話し合いました。
 重須ヨットハーバーでは大型トラックが入りにくいこと、トラック積み込みのクレーン施設がないことなどから、沼津外港まで曳航して、そこで陸揚げしトラックに積み込むことが決まりました。
 話し合いは意外と短時間に住むました。そこで、東京へ帰ることにしました。ここは絶景の富士山がみえるところなのですが、雲が多く富士山を見ることはできませんでした。残念

 東京へ帰ってきました。話し合いが短時間で住みましたので、娘のアパートへ行きました。初めて訪れるところで、どんな生活をしているのだろうと思い訪れたのです。なんだか、サントリーのCMのような気分になりました。それから、立川に向かい、立川駅で焼き肉を食べました。娘と二人だけで食事をするのは初めてです。少し照れてしまいました。それから立川の親戚の家に行き、しばらくすると娘は自分のアパートへ帰っていきました。


1月14日
 さあ、今日は何をしよう。
 東京に来る前日ハンディGPSが届いていたので、とりあえず持ってきて飛行機の中でクイックスタートを読んできました。しかし、十分にはその操作方法がわかりません。どうももっと詳細な地図ソフトが必要のようです。そこで秋葉原に行ってそこでこのソフトを購入しインストールしてもらおうと考えました。その店はすぐにありました。しかし、インストールサービスは行っていないということでした。そこでマイクロSDだけを買いました。

 秋葉原で内藤先輩に電話をかけました。内藤先輩は私が熊本大学ヨット部の2年の時のキャプテンで鼻が高くなかなかのハンサムな人です。また、温厚な人柄で決して大声を出さない人です。そして以前から内藤先輩のクルーザーを見たいといっていたのです。この船は今時珍しい木造のクルーザーなのです。
 周りの宣伝のためのスピーカーの音が大きくて、電話がなかなか聞き取れません。やっと聞き取れたのが「地下鉄東西線の南船町まできなさい。」と言うことでした。駅の案内板を見ました。しかし、「南船町」はありません。駅名を一つ一つ確かめていきました。ありません。しかし、「南砂町」を発見しました。これは「南砂町」を「南船町」と聞き間違えたのだと思いました。そこで地下鉄に乗って南砂町に向かいました。
 南砂町駅におりて出ましたが、私を待っているような車はありません。まだなのかと思っていると、「ここだ、ここだ」と言う声が聞こえます。振り返っても車はありません。そこには自転車にまたがっている人だけです。やっと気づきました。「内藤さんだ。」 と言うことは、内藤さんのご自宅は自転車で来れるほどの近いところにあるんだ。
 それから、公園のような中を歩いてマリーナまで行きました。5分ほど歩くと艇をあげるクレーン施設や立派なクラブハウスを備えたマリーナに着きました。大小のクルーザーが150艇ほど浮かんでいます。豪華な大型クルーザーもあります。複雑に入り組んだ桟橋を歩いていきます。艇を係留する杭も木です。奥先輩のクルーザーがありました。内藤先輩のクルーザーもありました。

 しかし、オーニングで全身が覆われています。どんな艇なのかさっぱりわかりません。しかし、さほど大きい艇ではありません。25,6フィートです。オーニングを取り除く作業を開始しました。出航準備をするためには1時間ほどかかるそうです。姿を現してきました。ハルも木造でしかもニス仕上げです。デッキはチーク貼り、マストもブームもラットもスピンポールもすべて木造でニス仕上げです。キャビン内も同様です。これはメンテナンスが大変だろう。窓は真鍮の船舶用丸窓、そしてランプも真鍮をしっかり磨いた石油ランプです。「これは飾りですか、それとも実際に使用しているのですか。」と問うと、実際に明かりをつけて見せてくれました。しかし、このような艇を他に3艇ほど見かけました。
 近辺のクルーザーから挨拶のかけ声が聞こえてきます。そして酒盛りが始まりました。ヨットの話、クルージングの話、失敗談など楽しい話で盛り上がりました。こんなヨットライフをしたいのです。日が落ち暗くなってきました。マリーナを辞して駅に戻りました。そして、娘と義兄と登戸で落ち合い、夕食をともにして、立川に戻りました。


1月15日
 重須ヨットハウスの土屋さんから「今日は天候がよいので、沼津外港に曳航し陸揚げする」という連絡がありました。いよいよ動き始めました。

 さて、今日はどうするか、これで東京は3度目です。修学旅行と千葉国体のときと、今度です。浅草はまだ見ていません。そこで、浅草へ行き、そこから水上バスに乗ることにしました。訪ねると、水上バス浜松町駅の近くの桟橋まで行くそうです。それならば、もしかしたら、もう一つ早い飛行機の便に乗れるかもしれないと、空席があるかどうか問い合わせました。そうすると空席が十分あるという返事でした。早い便に間に合うかどうかわかりませんが、空港まで行って間に合ったらもう一つ早い便にすることにしました。

東京の待ちも水面から見ると、またちがった景色にみえました。内水面の交通も盛んに行われていることがわかりました。
 浜松町からモノレールに乗って羽田に着き搭乗手続きを済ませ、空弁を購入しました。今度の旅すべてが順調で思いで深いものになりました。しかし一つ残念なことがあります。東京都立川市富士見町に宿泊し、静岡県の三島に行ったのにどちらも富士山は雲に隠れていて見ることができませんでした。それが残念です。

 しかし、奇跡が起こりました。空弁を食べていると、「左手に富士山がみえます。」というアナウンスがありました。「どこですか。」と隣の人に尋ねると指さしてくれました。雲の間からはっきりと富士山がみえました。こっそり携帯電話のスイッチを入れ撮影しました。
なんだか、セーリングクルーザー「ラピュタ」との出会いを祝福してくれているように感じました。